植物は、暮らしと空間に繊細な変化を与えてくれる。

日本を代表する建築家のひとりで、2児の母としての顔も持つ永山祐子さん。 建築には植物が欠かせない存在ですが、普段の暮らしにはどのように取り入れているのでしょう。 永山さんご自身が設計したこだわりのお宅にお邪魔しました。

家族と“呼吸”ができる家

 

都内某所のメゾネットタイプのマンション。ドアを開けてすぐの階段を上ると、まるでアトリエのような空間が目前に広がりました。前面のガラス窓からは朝のやわらかな光が差し込み、さっきまで都心の喧騒にいたとは思えないほどの解放感にあふれています。

 

「ワンフロアの平屋に憧れがあったんですが、都内だと1つのフロアに広い空間をつくるのは現実的ではないですよね。そんなときに出会ったのがこの物件だったんです」

もともとここは部屋を小割りにしオフィスとして使われていた物件でしたが、その壁をすべて取っ払いひとつの空間をつくり出したのだそう。

 

「平屋っていいなって思っていたんです。家族が同じところで呼吸ができる、そんな空間を目指しました」 

そんな永山さんの言葉通り、可動式の扉はあるもののリビング、キッチン、寝室、植物が広がるテラスがひとつの大きな空間としてつながっています。いくつもの個室が集まり、テラスやベランダが独立している一般的な家とはまったく異なるつくりでした。

 

「今の私の生活のなかで、家にいられるのは朝と夜のわずかな時間。帰宅が遅いことはよくあるし、出張も少なくない。だからこそ、家にいるときぐらいは家族の息遣いや植物の変化が少しでも感じられたら——そんな思いがあるんです」

現在、2児の母でもある永山さんは、子どもが産まれてからいろんな価値観が変わったと話します。時間の使い方ひとつとっても独身のときのように思い通りにはいきません。だからこそ、家にいるときは時間の密度を少しでも上げたいと考えているのです。

 

「子どもには忙しい理由をちゃんと共有しています。『ママはこういう仕事をしていて、今はこんなことをやっているからどうしても一緒にいられないんだ』って。幸い建築は子どもにも分かりやすい職業なので、これからスタートするプロジェクトのことも話すし、その土地にまつわる絵本を子どもと一緒に読んだりもしています」

ママの笑顔が家族みんなを幸せにする

 

「住居を手掛けるときはキッチンからの見え方をすごく大事にしています。正面にはパノラマがあり、視線を変えれば植物があり、反対側にはまた別の植物が佇む風景がある。この家もそうなんですが、住まいの特等席はキッチンに立つ人。最近ではパパも家事に参加するご家庭が増えましたが、日本ではまだまだママが料理するおうちがほとんど。私、こう見えて意外とママ目線を大事にするんですよ(笑)。ママの機嫌がいいことがおうち全体の幸せにつながるとも思っています」

 

永山さんの言う“特等席のキッチン”から辺りを見渡すとわずかに視線を変えるだけで、景色に動きがあるのが分かります。些細なことだと思われるかもしれませんが、長い時間を過ごすからこそのこうした微細な変化は、単調になりがちな日常に潤いを与えてくれるに違いありません。

永山さんのお宅は解放感のあるリビングを取り囲むようにテラスがあり、室内とテラス、 外の空間の境界線を沿うように植物が植えられています。植物を手がけたのは、仕事でも全幅の信頼を寄せている造園家の荻野寿也さん。ただ植物を植えているのでなく、より立体的に見えつつ根が張りやすいよう盛り土をするなど荻野さんならではの気配りも。

「中と外はいつでも出入りができるよう、あえて段差を設けていません。温かい季節は中と外を裸足で行き来しています。足が汚れてもまったく気にしませんね(笑)」

時には子どもたちとテラスに植えられたイチゴや木の実を採るなど、植物のある暮らしを肩肘張ることなく楽しんでいる永山さん。メディアで見る建築家とはまったく違う顔がそこにはありました。

建築では出せない植物ならではの解像度

 

そんな永山さんにとって植物の魅力とはどんなところにあるのでしょう?

「建物は見た目の変化が少ないですが、植物はそれこそ毎日のように表情を変えてくれる。つまり、植物があることで固定化された建物にちょっとした変化を与えてくれるんです。風が吹いてただ木の葉っぱが揺れるだけでも、季節を感じることもできますから。また、葉っぱについた微細な産毛、瑞々しい茎といった、建築では出せない解像度の高さも魅力です。父が生物学者で、子どものころからミクロの世界の面白さを説かれていた影響があるのかもしれませんね」

 

時には台風や天候の影響で枯らしてしまうこともあるけれど、それもまた変化のひとつとポジティブに捉えている永山さん。今日もこの解放感あふれる空間で、家族とともに植物のある暮らしを楽しんでいることでしょう。